2016年10月27日木曜日

アンシュルス

HOI4の日本も一通り終わってきてドイツを最近始めたのだけど、
国家方針でアンシュルスという聞きなれない言葉があり調べてみた
調べてたらWW1の勉強が必要になったよ!やったねたえちゃん!
https://ja.wikipedia.org/wiki/アンシュルス

歴史背景…
 WW1前
 ドイツ語圏にはオーストリアと新興国プロイセンという2つの大国があり、
 どちらも統一を目指していた。
 オーストリアは多民族国家でオーストリアをベースにすると国民国家が成り立たなくなるということで、オーストリアを排除して「小ドイツ」を目指すかオーストリアを含めた全ドイツ語圏統一する「大ドイツ」を目指すかで対立した。
 プロイセンは主導権を得るため、とりあえず小ドイツを作るとして1866年普墺戦争(ふおうせんそう)したが、途中フランスの介入あり、オーストリアを除く統一国家ドイツ帝国が成立した。
1866年普墺戦争→フランス介入休戦→1871普仏戦争(ドイツ圏諸国がプロイセン側に)→プロイセン勝利(ロレーヌ地方と50億フランの賠償)→諸国含め統一ドイツ帝国が成立
普…プロイセン
墺…オーストリア

 WW1直前
https://ja.wikipedia.org/wiki/第一次世界大戦
前述の通り多民族国家であるオーストリアはアウスグライヒによってオーストリア=ハンガリー帝国となったが、ドイツ人・マジャール人以外の人種でスラヴ人等で頭を抱えて居た所に、1912年バルカン戦争でスラヴ人国家のセルビアの領土が拡張されドイツ国内のスラヴ人民族運動を警戒することとなった。
 ドイツ国内のスラヴ人はドイツ帝国南部は南スラヴ連合国家に吸収されるべきだと考えていた。スラヴの裏にはロシアが支援しており、オーストリアはロシアが介入するのを警戒していた。
【各国の簡単な状態】
オーストリア…セルビアが面倒くさい
ドイツ…セルビアが面倒。ロシアにバルカン半島への介入を認める変わりに独露再保障条約を締結(フランスに介入されたくない)
セルビア…ドイツの南一部を南スラヴ連合国家に吸収するべき
フランス…普仏戦争で負けて割譲したロレーヌ地方を奪回したい・ドイツに恨み
イギリス…ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟に対抗してイギリス・フランス・ロシア・(日本)で対抗したい
トルコ…バルカン半島の諸国+ロシアとガチャガチャ戦争
ロシア…中東~ヨーロッパに触手伸ばし
イタリア…フランス怖いからとりあえず三国同盟結んだけどオーストリアにローマ取られたままなんじゃ返せやゴルァ

WW1
オーストリアのサラエボでボスニア系セルビア人がオーストリア=ハンガリー帝国の世継を殺害
※前に記載した気がするが、銃はロシアから提供された可能性あり
オーストリアより懲罰的セルビア戦前にセルビアへ最後通牒を要求してセルビアの条件付き承諾にオーストリアは承諾せずセルビアに対して宣戦布告
ドイツはオーストリアと三国同盟の為、参戦する。トルコは対ロシアの為ドイツ側に。イタリアは防衛目的の同盟は結んだが、参戦はせずに中立を表明。(後日同盟国側で参戦)
ドイツの作戦として、ベルギーを素通りしてフランスに侵攻後返す刀でロシアに対する「シュリーフェン・プラン」を実行したが、ベルギーの反発、計画の無謀さ、ロシアの侵攻速度の速さと想定外のことが続き、長期戦化した。
同盟側も早期決着を想定していた(「クリスマスまでには」)が、ドイツの機銃の運用が上手かったこと、ロシアで革命が勃発したことで沼化した。

WW1後
ドイツとオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊。オーストリア=ハンガリー帝国内部の諸民族の独立が問題となり、特に工業力が強かった地域のチェコの独立はオーストリアの脆弱化につながり、オーストリアはドイツと合併しなければ自立が困難となり、
ドイツ内に再度大ドイツを目指す方向へと繋がった。(しかしイタリアとフランスが敗戦国が領土拡大はおかしいと異論をはさみ、合併の禁止は明文化された。ドイツとオーストリア間で国際条約では禁止されたものの実際の政策では独墺間で法律・税制・交通・通信などの共通化政策が進められ、両国においてアンシュルスを求める動きは残っていた。
オーストリアはドイツとの関税同盟(輸出入関税の廃止)によってドイツとオーストリアを一体とした経済圏とすることでこの危機を乗り越えようと考え、ドイツ側の了承も得て秘密交渉を続けていた。

ちょっと疲れたので次回



○外国人「頭のいい奴には理解できる世界地図データを出題していく」
http://www.all-nationz.com/archives/1062020945.html
全然わからんかった。面白かったのでメモ

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