最近まいぶーむ再燃焼中のしばやんさんのところで発見したのでメモ
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-230.html 他
○ぼたもちとおはぎの違い
正解は春のお彼岸に食べるのは「ぼたもち」で秋のお彼岸に食べるのは「おはぎ」で、ただ季節により呼び方が変わるだけである。
「おはぎ」は萩、「ぼたもち」は牡丹が咲く季節と関係している。また、夏や冬にはまた別の名前があることも紹介されている。夏は「夜船」、冬は「北窓」とい言い、いずれも「搗きしらず」、すなわちいつ作ったのか分からないことをひっかけて名づけられているのだ
「ぼた餅」は、日本古来の太陽信仰によって「かいもち」といって、春には豊穣を祈り、秋には収穫を感謝して、太陽が真東から出て真西に沈む春分・秋分の日 に神に捧げたものであった。それが、彼岸の中日が春分、秋分であるいう仏教の影響を受けて、彼岸に食べるものとなり、サンスクリット語のbhuktaや パーリ語のbhutta(飯の意)が、「ぼた」となり、mridu、mude(やわらかい)が「もち」となって「ぼたもち」の名が定着したのである。(日 本経済新聞社刊 P97)
○ちまきと柏餅の違い
中国では5月5日に「ちまき」を作って災いを除ける風習ができ、端午の節句となって「ちまき」とともに日本に伝来したらしい。
柏餅を包む柏は新しい葉が生えないと古い葉が落ちないことから、「子供が生まれるまでは親は死なない」すなわち「跡継ぎが絶えない」「子孫繁栄」に結びついて、男の子のお祝いである端午の節句に縁起のいい食べ物となったということだそうだ。
というわけで、江戸文化を反映して全国に柏餅が広がっていき、上方では伝統を重んじて「ちまき」が伝承され、江戸時代の幕末には関西で「ちまき」、関東で「柏餅」を食べることがほぼ定着し、今でも関西で「ちまき」、関東で「柏餅」が親しまれる傾向にあるというのである。
○醤油モドキと本物の醤油の違い
伝統の製造法で原料となるのは大豆と小麦と塩と水だけで、それらが麹菌、乳酸菌、酵母による発酵過程をへて醤油が出来上がる。醤油の色は発酵させれば「メイラード反応」により自然に赤褐色になるのであって、本物の醤油は一切着色料を使わないということだ。
ちなみにスーパーなどで売られている醤油の原料を見れば、原料にいろいろなものを使っている。大豆も「脱脂加工大豆」という油の搾りかすを原料にしていることが大半だ。
角長の従業員によると「脱脂加工大豆」では醤油独特の色が出ないために着色料を用いざるを得ないし、香りも味わいも乏しくなるから香料を用いているところが少なくないそうだ
○土用の丑の日の説
① 平賀源内(1728-1780説
文政5年(1822)に青山白峰が著した「明和誌」
商売がうまくいかない鰻屋が夏に売れない鰻を何とか売るために、平賀源内のところに相談に行ったところ、
源内は「丑の日に『う』のつく食べ物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めたところ、物知りの源内先生の言うことならということで、
その鰻屋は大変繁盛し、その後他の鰻屋も真似るようになって、土用に丑の日に鰻を食べることが定着したという説。
② 春木屋善兵衛説
同じく文政年間の「江戸買物案内」
ある時春木屋という鰻屋に神田和泉橋の藤堂のお屋敷から、旅に出るのに持っていきたいと大量の蒲焼の注文があり、春木屋の主人が、子の日、丑の日、寅の日の三日に分けて鰻を焼き、土蔵に貯蔵して三日間おいたところ、丑の日に焼いた鰻だけが色合い、風味とも変わらなかったので、丑の日に焼いたうなぎを藤堂様に納めた。それ以来、鰻は丑の日がよいということになったという説
③ 大田蜀山人(1749-1823)説
天保10年(1839)に出版された「天保佳話」
鰻屋に相談を持ちかけられた大田南畝が「丑の日に鰻を食べると薬になる」という内容の狂歌をキャッチコピーとして考え出したと書かれている。
④ 鰻二匹説
平仮名で毛筆を使って、たっぷり墨を使って「うし」と書くと、まるで二匹の鰻のように見えたからという説。
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